筒井康隆氏についての…

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原田知世という少女


1982年初頭、角川書店東映は第二の「薬師丸ひろ子」を求めて「角川映画大型新人女優コンテスト」を開催します。グランプリ受賞者には角川映画最新作『伊賀忍法帖』(原作・山田風太郎)ヒロインの座が約束され、3月の応募締切までには57480名の応募がありました。
コンテスト最終選考会でグランプリを獲得したのは渡辺典子(当時16歳)、準グランプリには河合理英・津田由香理の2名が選ばれました。そして事前には定められていなかった<特別賞>を当時14歳だった、「原田知世というひとりの少女」が受賞します。

原田知世 長崎県出身 1967年11月28日生まれ(応募当時中学2年生)

募集要項である「15〜20歳の女性」という枠組みから(7ヶ月ほどとはいえ)外れた彼女に、<特別賞>を設けてまで受賞させたのは、審査員の中心にあった角川春樹でした。映画『時をかける少女』監督・大林宣彦はハルキ文庫版『時かけ』解説で、のちの角川氏の述懐を紹介しています。

原田知世原田知世の為のみに特別賞を急遽作って、私は彼女を選んだのである

原田知世は1982年7月5日フジテレビ系ドラマ『セーラー服と機関銃』主演(星泉役)並びに同主題歌『悲しいくらいほんとの話』でデビュー、さらに同枠の後番組『ねらわれた学園』でも主演(楠本和美役)と、同タイトル映画で薬師丸ひろ子が演じた役を連続ドラマで演じ、次代の薬師丸ひろ子としての地盤を(はからずも)築いていくことになります。そしてその原田知世の記念すべき銀幕デビュー作として選ばれたのが、『時をかける少女』でした。

映画『時をかける少女』は1983年3月よりクランクイン、彼女の中学卒業から高校入学までの約一ヶ月間撮影が行われ、4月4日クランクアップ。主題歌『時をかける少女』(作詞・作曲/松任谷由実 編曲/松任谷正隆)が4月21日発売、角川書店<バラエティ>誌では毎号特集が組まれ、「原田知世という少女」が「時をかける少女」となるまでにそれほど時間はかかりませんでした。すでに「原田知世」というよりも「芳山和子」といった趣のある彼女が表紙を飾った<アサヒグラフ>1983.6.10(上写真)はその記事で、彼女のために投入された宣伝ポスターの枚数を紹介しています。曰く、

  • 映画宣伝用 6種 41万6千枚
  • レコード『時をかける少女』宣伝用 3種 8千枚
  • ミュージカル『足ながおじさん』宣伝用 5千枚
  • 角川文庫ブックフェアポスター 1万枚
  • 写真の日(1983.6.1)イメージポスター 1万枚

合計44万9千枚。ポスターに限ってもこの枚数。ひとりの少女に費やされる宣伝としては破格ではなかったのでしょうか。テレビ・ラジオCM、雑誌・新聞広告に彼女が続々と起用されていきます。

そして原作である角川文庫『時をかける少女』も例外ではありませんでした。角川文庫版『時をかける少女』カバーも映画化に伴い、彼女のスチールを使用したものに変更されていったのです。

時かけ』ミニミニ特集、次回は数ある筒井作品の中でも屈指のヴァリエーションを誇る角川文庫版『時かけ』(その2)です。