筒井康隆氏についての…

筒井康隆さんについての情報を中心としたブログです

柴野拓美さんのこと。

 一昨日に知った訃報からはや三日、手元にある柴野さんについての資料を取り出してきては読み返したりしていました。
 ひとつは最近とある理由で、通勤途上の鞄に入ったままになっていた「<宇宙塵>20周年を祝う会 COSMICON」パンフレット(1977.5.22)。

 そこには小松左京さんによる「「宇宙塵20周年を祝う会」趣意書」、このイベントのゲスト・オブ・オナー、柴野さん、F・J・アッカーマン氏、矢野徹氏の紹介(それぞれ横田順彌鏡明風見潤各氏の筆による)、江戸川乱歩「科学小説の鬼」の再録に続いて、「「SF」との出会いー「宇宙塵」創刊までー」と題された柴野さんの一文があり、それはこのように始まっています。
 「生涯をSF漬けで過ごすことになった、その動機はいったい何だったのか」
30年以上前に書かれたこの一節の通りに柴野さんは「生涯SF」を貫き、そして亡くなられました。もちろん私は日本SF黎明期はおろか、この「COSMICON」も知ることなく、<宇宙塵>も多くの号を読んだわけではありません。それでも昨年三月のこと、岩谷書店で<宝石>に携わっていた方を父にもつ、とある方のもとで見せていただいた<宇宙塵>(38号から69号まで)は、柴野さんと<宇宙塵>が日本SFに果たした役割を心に刻みこむのに充分すぎるほどでした。
 その頃の<宇宙塵>からいくつか、筒井さんにまつわる「柴野さんの言葉」(と思われるもの)をひいておきます。

  • 「大阪自然博物館長の筒井嘉隆氏によるSF専門同人雑誌「NULL」が創刊された。一家五人が同人という変ったやりかたで、当分一般からの参加を認めず、一家だけでやって行く方針だそうだ(後略)」34号 1960.7
  • 「前号既報の新SF同人誌「NULL」所載の作品のうち三篇が「宝石」八月号に転載されている。同号には筒井氏一家の座談会もあり、「SFマガジンと肩を並べるところまで行きたい」と抱負をのべているのは当然の言ながら大いに壮とするところだ。奮斗を祈る」35号 1960.8(36号末尾には「誌友」として筒井さんの名前が会員名簿に追加されています)
  • 「「ヌル」が近く会員を募集して一般同人誌に脱皮するもようである。SF興隆のため大きく育ってほしい」37号 1960.10

その後38号では「NULL」2号が紹介、39号には筒井さんのおたよりが載り、40号(1962.1)には「NULL」以外に発表された最初の作品「環状線」が巻頭掲載されます。41・42・44号のおたより欄にも筒井さんはご登場、1961年4月30日には大阪自然科学博物館にて宇宙塵四周年記念会合が「NULL」例会と合同開催されることになります。
 1960年初頭の、わずか一年に満たない<宇宙塵>の中から筒井さんについての事柄を辿るだけでも、その巨きさがわかります。
 最後に「NULL」5号も紹介されている、50号の最終頁からのことばをひいておきます。

  • 「さて、本誌もいよいよ50号をむかえました。十月二十九日の記念会を前にして全く感慨無量です。よく続いたというべきか、大発展と誇るべきか… いや、過去をふりかえるひまがあったら、前方に眼をむけましょう(後略)」50号 1961.11

 それから約50年、<宇宙塵>は202号を数えています。
柴野さん、ありがとうございました。