- 2010.4.23〜2010.6.29 神戸文学館
5/1、青空書房さんからの帰りしなに神戸文学館に行ってきました。阪急 王子公園駅から王子動物園に向かって道なりに歩いていくと関西学院旧チャペルそのままの神戸文学館に到着。
入ると右手に会場。筒井さんデザインという、「第14回日本SF大会(神戸大会)SHINCON」のポスターが。神戸に住んでいながらSHINCONには参加が間に合わなかった身にとってまさに垂涎の一品。しばし見とれてしまいました(神戸文学館のサイトに写真があります)。
眉村さん講演会の受付をすませて、開始時刻まで展示資料を見学。
「星雲」に「科学小説」、「宇宙塵」「宇宙塵Junior」、さらには神戸大学SF研究会発行「れべる烏賊」など貴重な同人誌・ファンジンがいっぱい。日本SFシリーズや盛光社ジュニアSFなどの叢書も。海野十三から矢野さん、小松さん、眉村さん、手塚さん、そして筒井さんをはじめとする関西ゆかりのSF作家の写真、著作。星さんのハガキや小松さんの『日本沈没』生原稿、眉村さんのイラスト入特製Tシャツ、映画「日本沈没」ポスター…。SHINCONの会場写真も多数展示。
筒井さん関連の主な資料は
- 「お助け」掲載「宝石」1960.8
- 盛光社『時をかける少女』ほか著作 全集特典『最悪の接触』 『時かけ』パンフレット
- SHINCONポスター、公式プログラムブック(別刷ネオヌル特別篇も)、当日進行表、会員証(2種)、参加申込書、「月刊神戸っ子」(1975.8 SHINCON特集)
- 『NULL』3号
- 『ネオNULL』1〜7号 ネオヌル入会申込書(会則)
などでした。各作家の著作やSHINCON関連資料をまとめたファイルを実際に読むことが出来るコーナーもあって、気がつくと眉村さん特別講演「SF黎明期と関西」の開始時刻に。
会場は満員(年齢層はやや高め)。拍手に迎えられて長身の眉村さんが颯爽とご登場。
会社勤めをしながら小説を書き始め数々の雑誌に投稿していた頃からSFとの出会い。「SFマガジン」創刊号のディック「探検隊帰る」やシェクリイ「危険の報酬」に魅せられ、早川書房に原稿を送ったところ返事が来て、投稿した作品はアイデアのつぎはぎで構成に乏しいと(森優氏に)言われ、平易な表現でわかりやすく書くようになったこと。やがて「宇宙塵」の柴野拓美氏から入会の誘いがあり、夜行で東京の会合に出かけ、星さんと出会ったこと(背が高く作品から抱くイメージとは違ったこと)。大阪でも「NULL」というSF同人誌が出来たと柴野氏に知らされ、靭公園で開催されるという「関西SFのつどい」に出かけたところ、看板を赤いペンキで描いている男性がいて、それが筒井さんだったこと。筒井さんが会社を辞めて自らのデザインスタジオを開いたが、それが自分の勤めていた会社の向かいで昼の休憩など頻繁に会うようになったこと。時には自社の製品をつめる布袋に「×× 〜kg」と書いてもらったり、宣伝用マッチのデザインをして貰ったこともあること(残念ながらそのマッチはお持ちではないそうです。ひと目見たいなあ。またひとつ見果てぬ夢が増えました)。第1回SFコンテストに応募し入選、同じく入選の大阪市・小松左京という人物に手紙を送ったところ「当方体重三十貫」という返事がすぐ来て、小松・筒井・眉村の三人で集まってはSFの話ばかりしていたこと。SFを書いて食べて行けるかどうかわからなかったが、SFを書く人間とSFを読む人間で、SFというひとつのジャンルをつくって行くようなそんな時代だったと語られました。
さらに第一回SF大会のこと、SF作家クラブでの原子力発電所見学のあの逸話。クマゴローという渾名の由来。ばったり倒れた星さん。嵐を読んだSHINCON。チャチャヤング、全国こども電話相談室など関西キー局ラジオ番組のこと等々…。
眉村さんや筒井さんのエッセイで読んでいた、「憧れの時代」のことをご本人から聞けてとても嬉しかったです。
「ねらわれた学園」出演時のエピソード、映画公開を控える「妻に捧げた1778話」のこと。あっという間の1時間半でした。
眉村さん、貴重で、楽しいお話をどうもありがとうございました。眉村さんがご持参された初期の「宇宙塵」は新たに展示に加わるとのこと。皆さん、是非神戸文学館にお出かけ下さい。