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筒井康隆コレクション III 欠陥大百科』発刊記念 筒井康隆自作を語る#2「『欠陥大百科』『発作的作品群』の時代」

 行ってきました、新宿文化センター。大ホールでは高橋幸宏ライヴ、また一階では高田渡写真展も開催で、いろんな方が集まっていました。
 18時過ぎ、エレベーターで3階へ。既に出来ている行列の最後に尾いて開場を待ちました。18時半開場、予約していた『筒井康隆コレクション III 欠陥大百科』を受け取り、ほくほくとして席へ。
 前回入場に時間がかかったとのことで、開演までは一時間ほどの余裕が。今回のポスターを買ったり、『コレクション』を読んでいると、何と山下洋輔さんが会場に! ご挨拶させていただきました。ほかにもイオの乙部さんや世田谷文学館の方など多くの関係者の姿も。
 19:30、Live Wireの方の紹介で日下さん、筒井さんが拍手に迎えられご登場。いずれ「SFマガジン」で詳細が掲載されると思いますので、簡単にレポートします。
 まずは日下さんから出版芸術社の事情もあり、コレクション3巻の刊行が遅くなったが、今後は完結までそれほどお待たせせず刊行出来る見込みという説明がありました。
 話は前回を引き継いで70年代初頭から。少し遡って、直木賞候補となった「ベトナム観光公社」「アフリカの爆弾」あたりのこと。「ベトナム観光公社」の時はいわゆる文壇とはあまり親しくなかった頃なので、自宅でひっそりと発表を待っていた。「アフリカの爆弾」の頃は既に野坂昭如氏らと交流(酔狂連=上野公園ですぐに追い出された芝生での花見など)があり、落選したときは同時期に候補だった阿部牧郎氏・佐木隆三氏とともに野坂昭如安達瞳子各氏らの目の前で残念会をやらされた。この時期は他のSF作品への選評を読んでもわかるように、SFへの理解がなかった時代だった。そういえばある集まりで文春の編集者より「『母子像』の評判がいいので…」と何かうかがわせるような雰囲気があったが、実際には候補にはならなかった。逆にSFファンが選ぶ星雲賞は第一回の長・短篇部門同時受賞を含め、始まってから八年で六回受賞、ほぼ毎年の受賞で恐縮していた。最近は貰えないが…と(会場爆笑)。
 今回のコレクション3巻に入っている『欠陥大百科』について。この頃は中間小説誌に書く新人がおらず、無茶な注文も多くあり、何でも書かされた時代。作品集を出したいという出版社からの申し入れがあっても、収録作品が一冊にするには不足で、仕方なく百科事典形式でエッセイやルポ、コラム、ショートショート、マンガなどを収録して一冊にした。「平凡パンチ」でのルポ連載「ヤングソシオロジー」(コレクション後記では「アングラ社会学講座」と書いてしまったので修正してください)が中心となっている(面白いものが出来ると思って書いた「精神病院ルポ」等とは違い、不本意な部分も多くある)。
 『欠陥大百科』編集担当は河出書房新社の龍円氏。旅館の一部屋で、作品の切り抜きを画用紙に貼って作り上げた。なぜか平井和正氏がその部屋についてきていた。彼は人に対して「どこまで言うと怒るか」をはかるように嫌みを言うことがあり、子どもっぽさが残っていた。
 『発作的作品群』も同じような経緯で一冊にまとめた。生島治郎氏の「週刊読売」コラム内コラムなども収録している。「面白いと思ったものしか書かない」「同じようなものは書かない」といった自分なりのストイシズムを理解してもらえなかった。山下洋輔トリオとの鼎談はみなそれぞれが笑わせようとしていて、その後再録された『トーク8』の中でも群を抜いて面白い。
 1971年、コレクション2巻に収録された『脱走と追跡のサンバ』について。早川書房の日本SFノヴェルスの最初の作品として刊行されたが、続いて出た半村良氏の『石の血脈』(本来であれば最初に刊行されるはずだった)は大傑作だった。
 1972年、「時をかける少女」初の映像化「タイムトラベラー」について。タイムリープの表現などよく出来ていた。好評で続篇の執筆を依頼されたが、あれはあれで完結していることもあり、シナリオを担当してくれた石山透氏にお願いした。
 『家族八景』を初めとする「七瀬シリーズ」について。連作短篇形式が好評だったため、次の「七瀬ふたたび」もそれで書いたが、連作長篇のかたちとなった。「闇につげる声」(全集・『細菌人間』収録)は原型とも言える。エロチックな描写も多い「七瀬ふたたび」が少年ドラマシリーズとして映像化されたのもそのことがあるかも知れない。
 1970年開催、大阪万博について。SF作家が多くかり出されたが、中心となって尽力した小松左京氏らとは違い、イラストルポや短篇「深夜の万国博」「人類の大不調和」を書いた。まさか「南京大虐殺記念館」というものが出来るとは…。命がけで作品を書いていると、こういうこともある(『発作的作品群』収録の「人間を無気力にするコンピューター」では国民総番号制について書かれているが、現在のマイナンバー制度と呼応)。
 1973年の新潮書き下ろし劇場「スタア」のこと。戯曲を書けるだろうと思われる作家に依頼が来た。舞台におけるドタバタの要素を全部盛り込んで書いた。福田恆存氏が気に入り、神戸SF大会の初演の際、演出を手がけてくれた。
 ネオ・ヌルについて。1973年、北海道支笏湖で開催されたSF大会、EZOCONで神戸でSF大会をという声があり、主宰するにあたって喧伝の意味もあり創刊した。作品を募り、講評をそれぞれに書いた(夢枕獏かんべむさし山本弘牧野修各氏等々…を輩出)。『ネオ・ヌルの時代』として中公文庫で三冊に纏められている。
 『日本SFベスト集成』について(日下さんが大森望氏と共同編集で刊行中の創元推理文庫「年刊日本SF傑作選」において手本としているとのこと)。毎年出ていたのではなく二三年で集中して刊行。収録作家からの直接注文(長いものを載せて欲しいという希望)や思っていた作品が収録出来ないなどの制約もあったが、商業誌・同人誌から小説だけではなく漫画・エッセイなど幅広く選ぶことが出来た。好評だったため横田順彌氏の「戦後初期日本SFベスト集成」も刊行された。その後のハヤカワ文庫『日本古典SF集成』も含め、横田氏の仕事は素晴しい。好きでなければ出来ないこと。
 福島正実編『日本SFの世界』(角川書店)について。福島氏は今から思うと広瀬正氏、大伴昌司氏に続いて随分早く亡くなっている。星さん、小松さん、光瀬さん、半村さんが短期間に続いて亡くなったことを思い出してしまう。「一人勝ち」という声もどこかから聞こえてきたりもする。
 神戸SF大会、SHINCONについて。先ほどの「スタア」初演や小松さんの紹介で米朝師匠の「地獄八景亡者戯」もあった。テーマを「SFの浸透と拡散」として掲げ、新人からベテランまでの作家陣によるパネルディスカッションを司会したが、それぞれがどのような思いでSFを書いているかを発言するだけで時間の大半を費やしてしまい(平井和正氏が「(自分の番が)やっときたあ」と)、討論とはならなかった。80年代に入ってからはそうでもなくなったが、中間小説誌はもとより学習誌も依然としてSF作家が多く書いていた時代だった。TVドラマもSF設定のものが多く、『コメットさん』などは『家族八景』そのものではと思うことがある。
 とここで、前半終了。休憩となりました。後半部はまた改めて書きます。