筒井康隆氏についての…

筒井康隆さんについての情報を中心としたブログです

筒井康隆コレクション』完結記念 筒井康隆自作を語る#4

 行ってきました、新宿文化センター。実はこの日は世田谷文学館で開催中のコレクション展「SF再始動」に行っており、いつもより遅れて18:20頃到着。既に列は3階から2階まで延びていました。
 18:30開場後、受付でコレクション7巻を受け取り、恒例のポスターを買って会場へ。流石4回目ともなると常連の方々が多く、落ち着いた感じでした。
 19:15、Livewireの井田氏の司会で日下さん、筒井さんが登場され大拍手で迎えられました。「SFマガジン」に追って詳細が掲載されると思われますので走り書きメモをもとに簡単にレポートします。
 日下さんは出版芸術社自体が厳しいときもあり、今回のイベントは1年ぶり。無事コレクションを完結することができて良かったと挨拶されました。またこれまで年表として作成していた資料も今回の範囲が30年以上となるため、著作リストで代えさせていただいたと説明。
 筒井さんは「生まれる前から筒井康隆をやっております筒井康隆です」と。のっけから笑いに包まれイベントはスタート。
・『虚人たち』の最近の動きについて
 テレビでカズレーザーさんが紹介して売れ出し、今は書店で切れている状況。カズレーザーさんにはまだ感謝を伝えられていないので、知り合いの方がおられたら、お礼を伝えてくださいと筒井さん。
・『夢の木坂分岐点』(1987)
 『虚人たち』のあと文芸誌「新潮」の岩波氏に依頼され連載。一人の人間の中にある様々な人格を変転させたり活躍させたりした。『虚人たち』と並んでメタフィクションの集大成とも言える。谷崎潤一郎賞を受賞し、『虚人たち』の泉鏡花文学賞とのふたつで大きな自信ともなった。この頃からSF界からは離れていったように思う。SFはSFで進化していたし、自分は自分で進化していた。星新一小松左京筒井康隆というSF御三家フェアよりも北杜夫遠藤周作星新一というフェアをと星さんが言ったことがあったが、それだと星さんが一番最後になってしまいますよと言って、星・小松・筒井フェアが継続された(大江健三郎井上ひさし筒井康隆フェアではなかったのと同じ)。
・『歌と饒舌の戦記』(1987)
 ポスト・モダンで饒舌体ということを考えると『文学部唯野教授』の先駆的作品と言える。ソ連軍侵攻という内容で、北海道へも取材旅行に行った。冒頭部分はあるTV番組で再現ドラマ化されたこともある。
 日下/『コレクション』にも収録した。SF作家クラブ総会の場面は面白い。
 あの頃のSF作家クラブの総会で、ちょうど高千穂遙が事務局長をしていた頃、花粉症でマスクをしたまま喋るものだからよくわからず、隣で堀晃が手話通訳めいたことをしていたのを憶えている。
・『驚愕の曠野』(1988)
 河出書房新社の「文藝」が季刊誌になるというので編集の吉田氏より依頼があり、一挙掲載した。以前より構想していた、入れ子構造の物語。その後吉田氏とは「文藝時評」をやったりした、また最近連絡があり、カセットブックで出ていた「誰でもわかるハイデガー」を書籍化する予定がある。
・『イチ、ニのサン!』(1986)
 アトリエ経営の頭川氏より依頼があり、ドイツの画家・ミハエル=リューバの絵で出した絵本。
・『新日本探偵社報告書控』(1988)
 従兄である筒井敏雄氏が、自分がやっていた探偵社をやめるというので。処分する前に報告書を見せてもらった。木造住宅の一室で読みふけり、特に面白かったものを提供してもらい、作品に仕立て上げた。
・『残像に口紅を』(1989)
 ジョルジュ・ペレックの『湮滅』(当時未訳)の、フランス語で最も重要な「e」を使わず長篇を書いたという話を聞き、敵愾心を憶え、日本にもある「文字落し」の手法で書いた。初めてワープロを購入し、使えない言葉のキーに赤丸を貼って執筆した。最初に「あ」を消したが、「マージャン」や「ラーメン」といった「あ」の音引きも使えなくなるということもあり苦労した(注意して書いた後、チェックの際に「ああ」という感嘆詞を付け加えてしまい、校正者がひっくり返ったことも)。最後の数頁はあらかじめ書いたが、ワープロの不具合で消えてしまったこともあった。
 日下/使えない文字のキーに画鋲を付けて指が血まみれになったという逸話も。
 単行本時、後半を袋とじにして、未開封のまま持ってきたら返金という但書も付けたが、ひとりも来なかった。
・『フェミニズム殺人事件』(1989)
 『文学部唯野教授』ではフェミニズム批評は語られていないが、その当時はまだしっかりした理論が確立していなかった。『フェミニズム殺人事件』は『オリエント急行殺人事件』の逆を意識した作品。「小説すばる」で結末を掲載せず、読者による犯人当て懸賞を実施した。
・『ロートレック荘事件』(1990)
 チャンドラー原作の映画『湖中の女』、特に主役のロバート・モンゴメリーの視線で描かれるところを意識した。技法ではなく着想で書いた。
 日下/書かれた時期は新本格と呼ばれる作家・作品が多く生まれた頃だが。
 そのあたりの作品は読んでいなかった(叙述トリックについては知っていた)。ミステリを多く読んだのはSFに会う前。
・『朝のガスパール』(1992)
 パソコン通信での意見や事件を物語の展開にとりいれた。ASAHIネットの会議室「電脳筒井線」には個性豊かな、自分の役割をわかって演じている優秀な人材が多くいた。担当者・大上朝美さんによる解説にそのあたりのことは全部書いてある。
・『パプリカ』(1993)
 日下/今敏監督によるアニメーション映画も素晴しい。
 車からピエロが出て来る冒頭部をはじめ、原作にはない、今監督のアイデアあふれる場面場面が素晴しい。今監督と対談した際、自分から『パプリカ』を是非アニメにと依頼し、実現した(同じ年に同じ制作会社のマッドハウスから細田守監督で『時をかける少女』もアニメ化)。「文学部唯野教授」と同時期の連載で胃に穴が二つあき、連載を中断しながら書き上げた。
・断筆宣言(1993)
 「無人警察」が高校教科書に採択されるにあたり、日本てんかん協会より抗議があり、その際に協会側の意見ばかり新聞が掲載したこともあり、断筆宣言に至った。
 日下/筒井さんの断筆宣言で、自主規制・言葉狩りの風潮に歯止めがかかった。
 出版社とはどのような条件下で執筆再開が出来るかを検討し、文藝春秋・新潮社・角川書店と覚書を交わして断筆を解除した。
 日下さんの「当時、出版芸術社でホラー作品集を企画したところ、筒井さんから逆に叙情ものを集めたらと言われ『座敷ぼっこ』を作った。とても売れ行きが良かった」との言葉に「断筆していたときですから助かりました」と筒井さんが返され、ここで前半が終了。休憩に入りました。