筒井康隆氏についての…

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「真鍋博 2020」記念 スペシャルトーク

真鍋博2020」記念 筒井康隆スペシャトーク

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 午前中、愛媛美術館で展覧会「真鍋博 2020」を見たのち、隣接の松山市民会館での筒井さんのスペシャトークに行ってきました。メモをもとにざっとレポートします。
 開場1時間ほど前から会場前には行列。体温チェック後入場、一人空け座席の会場はすぐ満杯に。
 14時、愛媛美術館学芸員の五味さんより、真鍋博さん没後20年の命日となる本日に筒井康隆さんに講演していただけることにと挨拶があり、その後筒井さんが拍手に迎えられ登壇されました。
 筒井さんは「真鍋さんとは作家と画家という関係で、個人的なつきあいはほぼ無く、話をもらった時、一度はお断りした。しかし美術館の方から真鍋さんと仕事を共にした同時代の作家は他にはいないのでと再度お話があり、その通りなので引き受けた」と前置きされ、トークショーが始まりました。
 作家になる以前、真鍋博という画家はあこがれだった。星新一さんの最初期の作品「セキストラ」が同人誌「宇宙塵」から、江戸川乱歩編集の「宝石」に転載された時(1957年)、挿絵が真鍋さんだった。「宝石」の編集者・大坪直行氏が、星さんの「セキストラ」を一読、このシャープな、新しい作品には同じシャープな作風の新鋭をと真鍋さんを登用したと聞いている(今日の内容は仄聞したことも多く、誤りもあるかも知れない)。
 「セキストラ」を読み、作品にも挿絵にもその新しさに驚いた。その後も「宝石」には星さんのショートショートが次々と掲載され、殆どは真鍋さんの挿絵だった。こんなにシャープで素晴らしい絵を描いてもらえる星さんが羨ましかった。いつかは真鍋さんに絵を描いてもらえるような小説を書きたい、そんな作家になりたいと思っていた。
 当時、真鍋さんは横尾忠則氏やグループ「実在者」でいっしょだった池田満寿夫氏などと同年代で気鋭の画家だったが、ロシュワルト『第七地下壕』挿絵で講談社さしえ賞を受賞(1960年)するなどSFといえば真鍋博となっていた。
 「SFマガジン」創刊は1959年暮れ、創刊号から真鍋さんの絵はほぼ毎号掲載されていた。日本人作家がまだ少なかったため、掲載されるのは殆ど海外作家だったが、フレドリック・ブラウンロバート・シェクリイなど洒落た作風の作家の作品のイラストは真鍋さんだった。星さんが翻訳した、ブラウンの「電獣ヴァヴェリ」の挿絵も真鍋さん。電気を食べる電獣ヴァヴェリが今のコロナ禍を想起させて、忘れ難い。
 私が「SFマガジン」本誌に「お紺昇天」で初登場した時、真鍋さんに挿絵を描いてもらった。縦長の絵でとても嬉しかった。車が主題の作品だったから、福島正実編集長が真鍋さんに依頼してくれたのだろう(その頃、小説の挿絵は編集者が選ぶと思っていた)。翌年、東京と大阪が戦争するという「東海道戦争」を書いたとき、内容からもこれは真鍋さんしかないだろうと思っていたら、自衛隊の写真が使用され、がっかりした(福島さんは疑似イベントものだから、現実の写真を使用したほうが効果的と考えたからかも知れない)。その後、『東海道戦争』を皮切りにハヤカワSFシリーズの三冊の短篇集はすべて真鍋さんに装幀してもらった。
 真鍋さんの『鳥の眼』は日本全国各地をビルから喫茶店にいたるまで鳥瞰図で描いたものだが、その精密なこと、とても人間業とは思えない。私の息子・伸輔は真鍋さんの絵が大好きで、二、三歳頃から絵を描き始め、武蔵野美術大学に進み、ミヅマアートギャラリーに所属したが、本年二月に亡くなった(真鍋さんの長男・真さんがプロデュースした恐竜博も自分の息子とともに観に行ったりもしていた)。
 星さんが子どもも読める作品の挿絵を和田誠さんに依頼し、真鍋博和田誠と二組のペアとなったように、私自身も真鍋さんだけでなく、さまざまな画家のかたとおつきあいがあった。SFだけではなく、いろいろな作品を書いていたので、社会風刺的なものは山藤章二さんだったし、おどろおどろしい作品は横尾忠則氏、子ども向きのものは和田誠さんにも描いてもらった。自分で画家を依頼するようになってからは大好きだった柳原良平宮尾しげを馬場のぼる横山隆一各氏らに描いてもらった。
 真鍋さんには画家の代表としてSF作家クラブにも入会してもらった。面白いキャラクターで会員諸氏からも人気があった。
 真鍋さんには七瀬シリーズはじめ様々な作品に描いてもらったが、忘れられないのは『富豪刑事』の表紙。高価な宝石が斜めに流れ落ちるようなイメージを伝えたところ、立派な大時計を使用した豪奢なものとなった。写真を用いたデザインと言う意味でも気に入っている。
 そして「朝のガスパール」。真鍋さんにとって初めてのそして二度とはなかった新聞連載小説の挿絵となった。投書で意見を募り、それを展開に活かすというもので、より早く意見が反映されるパソコン通信も活用、挿絵は真鍋さんしかいないと依頼した。パソコン通信で開設した会議室「電脳筒井線」は、匿名ではなく実名での参加だったが、論争が絶えず、戦争であり地獄の長距離走だった。
 今回「朝のガスパール」を担当してくれた、朝日新聞の大上さんに当時を思い出すためにいろいろ尋ねた。真鍋さんは原稿は直に読まなければとFAXやメールでの送信では駄目で、原稿を届けたり受けとるためにバイクや車は24時間体制だった。
 真鍋さんは原稿を読むたび、このキャラクターはどういう人物かと聞いてきた。多くの登場人物を描き分けようとしていたのだと思うが、イメージしている有名人を伝えるとそっくりに描いてしまうので困った。
 大上さんによると絵は毎回とても細かくスクリーントーンをミリ単位で何重にも貼っているものもあり、相当の時間がかかっている。単行本出版の際、全ての絵を収録できなかったが、その後、真鍋さんは未収録の絵を巻末に収めた特装版を自費で制作している。渾身の仕事だったと思う。感謝している。
 その後、『朝のガスパール』は日本SF大賞を受賞し、真鍋さん、大上さん、ASAHIネットの参加者で祝う会も開催した。今日この場には大上さんも来られている(ここで筒井さんは大上さんを紹介。会場後部の席におられた大上さんにも拍手拍手でした)。
 真鍋さんはあの精密な絵、特に直線をフリーハンドで描いていたという。信じられない。本当かどうか確かめたいくらいだ。
 ここで筒井さんはしばらく沈黙、その後こう言われました。
「真鍋さんが68歳で亡くなって20年目の今年、息子の伸輔は51歳でこの世を去った。真鍋さんについて語ることは語ったので、残りの時間に伸輔について書いた未発表の掌篇「川のほとり」を朗読します」
 それからの十分ほどの時間は忘れることが出来ません。伸輔さんを喪った深い悲しみを作品にすることがどれだけ悲しいことか。私は筒井康隆さんという作家と同時代に生まれ作品を読み続けられることに感謝し生きています。そのことをまた心に刻んだ一日になりました。
 「真鍋博 2020」本展については改めて書きます。今日はここまでに。