筒井康隆氏についての…

筒井康隆さんについての情報を中心としたブログです

日高敏隆氏 死去

 デンデラ連さんの書き込みで日高敏隆さんが亡くなったことを知った。
 小学校に入りたての頃、父の影響で、私は学校が退けたあとの午后や休日の午前の陽の中で家の近くを飛ぶ蝶を追いかけ始めた。山と渓谷社『カラー 日本の蝶』(小檜山賢二/写真 高瀬武徳・藤岡知夫/解説)と保育社『原色日本蝶類図鑑』(横山光夫)が、私にとって聖書だった。『カラー 日本の蝶』は自然のままの蝶の姿が美しい写真で掲載されており、八重山の空を優雅に飛ぶオオゴマダラや、羽化後間もないミヤマモンキチョウの翅を縁取る赤い産毛など、手の届かないその姿を見るたび憧れが胸をつきあげた。『原色日本蝶類図鑑』の「図鑑」には似つかわしくない、その官能的にさえ思える、横山氏の独特の表現も幼い心に残って離れなかった(たとえばジャコウアゲハの蛹についての一節はこうだ。「蛹は『お菊虫』と呼ばれ、後手に縛られた姿にもにて『口紅』に似た赤い斑点さえもひとしお可憐である」)。
 それから数年後、白水隆教授による様々な図鑑類もお年玉やら家事の手伝いやらして貯めたお金で買い求めていた私は、大阪市立自然史博物館で開催された「第1回特別展 チョウはどこから来たか 日本の蝶・世界の蝶」を訪れた。大阪の靭公園にそびえる自然史博物館の貴重な標本の数々は当時の私を狂喜させ、そして会場で上映された、テーマである「チョウはどこから来たか」を具現化するモンシロチョウについての記録フィルムもまた、蝶に対する、いや自然に正面から向き合う人たちへの憧れをさらに刻み込むことになった(その時の私はこの大阪市立自然史博物館の初代館長が筒井嘉隆氏だったことを知る由もなかった)。
 しばらくして乱歩や正史や星さんが描く物語に私の興味が移り出した頃、それでも私が手元を離さず何度も読み返す蝶の本が二冊あった。
 日高敏隆さんの『チョウはなぜ飛ぶか』(岩波書店)と日浦勇さんの『海をわたる蝶』(蒼樹書房)がそれである。
 仮説を立てて実験する。結果を考察する。また実験する。地道な調査と研究でデータを積み重ね、蝶に自らの人生を、人間の文化を、歴史を、重ね合わせる。そんな本だった。自然への敬意と、情熱を忘れそうになるたび、私はこの二冊を読み返した。
 日浦勇さんは二十年以上も前に五十歳という若さで、大阪市立自然史博物館の学芸課長のまま亡くなった。『海をわたる蝶』はその後再刊され、講談社学術文庫にも入った。
 日高さんの『チョウはなぜ飛ぶか』は初刊の「岩波科学の本」版が版を重ね、最近ではランダムハウス講談社の『日高敏隆選集』1巻に収められている。どちらも多くのひと、特に自然に目を向けている若いひとに読んでもらいたいと願う。
 日高敏隆さんの訃報を知り、ぼんやりとそんなことを考えた一日だった。
 ご冥福をお祈りします。日高さんに教えていただいたこと、忘れません。ありがとうございました。