筒井康隆氏についての…

筒井康隆さんについての情報を中心としたブログです

村野守美氏 死去。

 もう4年ほど前のことだ。ネットで筒井さんに関する情報を検索していて、とある情報にたどりついた。
 「夜さまようもの」(原作・筒井康隆)<中学二年コース>1965.12〜1966.3
村野守美氏のサイト内にあった作品リストでの情報だった。
 全く知らない漫画の原作情報であり、最初は原作者名に誤りがあるのではとまで思ったが、とにかく知った以上調べてみなければ何も始まらない。未知の情報の調査は現物にあたるのが鉄則である。
 1965年、昭和40年の<中学コース>は鬼門である。図書館に収蔵がないのだ。それは同じ昭和40年発表の『時をかける少女』掲載誌を探したときに嫌というほどわかっていた。
案の定、国会図書館(子ども図書館)には<中学二年コース>該当号は一冊もなかった。都立中央図書館にも、日本近代文学館にも、神奈川近代文学館にも、早稲田大学図書館にも、三康図書館にもナイキ漫画図書館にも一冊もなかった。
 こういう時は北海道立図書館・栗田文庫にあたることになる。取次の栗田出版販売が収蔵していた11万4千冊をそのまま譲り受けた栗田文庫は国会図書館にもない雑誌が多くあり、その在庫(中でも学年誌)には定評がある。のちに角川文庫に初収録されることになる「睡魔の夏」もこの栗田文庫収蔵雑誌から発掘されたものだ。
 該当号を明示して北海道立図書館に探索を頼んだ。しかしなかった。親切な担当の方はその近辺で在庫のある<中学二年コース>を探してくれたが、そこにも「夜さまようもの」は見当たらなかった。
 検索サイトで「夜さまようもの」やら「中学二年コース」やら「中二コース」やら入れ続けては溜息をつく夜が続き、自分が「夜さまようもの」みたいだなあと思っていた。でも平石さんの作品リストに挙がっていない、筒井さんの情報があるならつきとめたかった。
 情報が掲載されている村野氏のサイトに問い合わせメールを書いた。どうしてもその作品について知りたいこと。出来ればその作品を読みたいことを記して、連絡先をそえて送信した。
 探索行が袋小路に入りかけていたある日、会社から帰って着替えようとしているときに電話がかかってきた。
 「村野と申しますが…」
村野氏本人からの電話だった。
 まさかご本人から電話がかかってくるなど思っていなかったから慌てた。わざわざかけてくださったことに感激しながら、「夜さまようもの」についてたずねた。
 「原作は筒井康隆さんに間違いないんでしょうか」
 「間違いないですよ。学研の近くで打合せをしたことを憶えてます。筒井さんは学生のように若かった」
 「載ったのは<中学二年コース>なんでしょうか」
 「うーん、二年かどうかわからないが、とにかく<中学コース>でしたよ。地下室が異空間につながっていて…という設定を筒井さんが書いて来られていろいろと話しました」
 「原稿は残っているものでしょうか」
 「いや、もう残ってないですねえ…」
言葉にできないほどの感謝を伝えて受話器を置いた。
 それから「夜さまようもの」のさらなる探索が始まった。ネットオークションや古書店をめぐる日が続き、その年のマンガのベストを投票した雑誌の近況欄に一縷の望みを託して「夜さまようもの」というマンガを探していますと書いたこともあった。
 そしてひとつの情報にめぐりあった。
過去に終了したとあるオークションの商品内容紹介に「『夜さまようもの』むらのもりび」という一文を見つけたのだ。それは<中学一年コース>1965年12月号のものだった。
 しかし「二年」が「一年」に変わっても状況は同じだった。各図書館に所蔵はなく、栗田文庫の担当のかたはその年近辺の<中学一年コース>に<中学三年コース>まで調べてくれたが、現物は出てこなかった。
 それでもだんだんと外堀が埋められていくように情報は少しずつ集まって行った。同じ<中学一年コース>1965年12月号には石森章太郎の「ガルマ」という作品が掲載されていること。そしてその連載は11月号から始まり3月号で完結していること。
 「ガルマ」掲載号を探せば「夜さまようもの」に行き当たる。それを信じて、静かに待った。
ネットオークションで「ガルマ」掲載号揃いが出品され、どうにか落札出来たのは最初に情報を得てから2年くらい経った頃だった。
 到着した<中学一年コース>1965年12月号をゆっくりと開くとそこには探し求めていた「夜さまようもの」があった。
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「新連載 少女ファンタジー『夜さまようもの』原作・筒井康隆 え・むらのもりび」
連載は3月号まで全4回。原作は発表されていないものの、そののちのとある短篇の萌芽が垣間みられる内容だった。村野さんのサイトへのメールで「夜さまようもの」を入手することが出来たことと電話への改めてのお礼、掲載誌が<中学一年コース>1965.12〜1966.3だったことなどを伝えた。
 昨日、村野さんの訃報を知り、あの夜のやさしく温かい声を思い出している。本当にありがとうございました。ご冥福をお祈りします。