『筒井康隆コレクション V フェミニズム殺人事件』発刊記念 筒井康隆自作を語る#3「『虚人たち』『虚航船団』の時代」
行ってきました、新宿文化センター。昨年末のピットイン50周年記念ライヴもここだったから新宿駅からの近道ももう覚えました♪
18時頃に着きましたが、列は既に階段まで。列が出来るのが回を重ねるごとに早くなってきている気がします。
18:40頃開場。ずっしりと重い『筒井康隆コレクション』5巻に、『筒井康隆全戯曲』のチラシを貰って会場へ。今回ロビーには「STARLOG」1981年9月号「筒井康隆“私”写真館」からの掲示がありました。日活ニューフェイス応募写真、同志社のベルトバックルが渋いです(大学時代、生協で探したんですが同デザインのものはありませんでした。学帽は買いました)。とりあえず今回も当日のメモをもとに簡単にレポートします。
19:20頃、Live Wireの方の紹介で筒井さん、日下さんが拍手に迎えられご登場。「海」の話題から入ろうとされた日下さんを制して、筒井さんは立ち上がって「本日はようこそ」と客席に挨拶。次いで「今夜、青山斎場では蜷川幸雄さんの通夜が…」と氏との想い出話を語られました。
チェーホフの「かもめ」ではトリゴーリンを演じ、何頁にも渉る長科白があった。「弱法師」(「近代能楽集」)では全国を廻り、ロンドンまで遠征した。蜷川さんは心臓が良くなかったが、ペースメーカーを見ながら「まだあと二、三度は怒鳴れるな」と言ったりしていた。作家ではそんな思いを抱いた人物はほぼいないが、蜷川さんは競争相手だと思っていた。ショックだ。その前には戸川昌子さんも亡くなった。先日、「青い部屋」に天地総子さんとひさびさに行ったときも酔っていた…と。
『虚人たち』について。
文壇にデビューした頃、純文学作家、石原慎太郎、開高健、遠藤周作各氏が出てきていて、意識はしていた。前衛的なものをエンタテインメントに応用する手法で作品を書き続けていた。そんな中、大江健三郎さんの紹介で純文学誌「海」の塙嘉彦編集長が神戸に訪ねてきた。「海」には塙さんが編集長ではない頃に「家」、増刊号に「新宿コンフィデンシャル」を書いたが随分前のこと。塙さんとの出会いの後、本格的に書き始めた。
「中隊長」を書き、「遠い座敷」を書いた。「遠い座敷」は奥野健男氏が「われわれが子供の頃からよく見る夢を見事に描いている」と激賞してくれた。
「虚構と現実」について考えているうちにいくつかのアイデアが浮かび、構想段階で塙さんに話したところ、すぐに「海」に連載をと要請され、『虚人たち』の三ヶ月に一度という変則的な連載が始まった。塙さんが倒れたのは連載が始まって間もない頃。病床でスペイン語の勉強も始めていたという塙さんは、編集者が持ってきた『虚人たち』の次の掲載分を読み終えると「次はまた三ヶ月後か」と言っていたと聞いた。塙さんは『虚人たち』連載が終る少し前に亡くなった。青山斎場でのお葬式、隣には大江氏や井伏鱒二氏がいた。「海」だけではないが、ラテン・アメリカの文学をまとまったかたちで日本に紹介したり、ミシェル・トゥルニエやル・クレジオなど塙さんから教わった作家、作品は多い。
『虚人たち』は虚構内人物であることを意識した主人公、意識の流れなど様々な要素を盛り込んだが、個人的にはベケット「モロイ」→「脱走と追跡のサンバ」→「虚人たち」という流れがある。
個人的にこのあたり、読後いつまでも心に残り続ける「知の産業ーある編集者」や全集24巻の大江氏の解説などを思い出し、胸がいっぱいになってしまいました。
また最近のイベントで感じることですが、筒井さんは先にあったイベントで話されたことは敢えて繰り返し詳しく語ることをしておられないような気がします(『虚人たち』の意図や自ら課した制約といったことは佐々木敦さんとの対論で詳細に語られていたと記憶します)。
『スタア』について。
有名な劇作家、また遠藤周作や大庭みな子など作家が戯曲を書き下ろす、書き下し新潮劇場というシリーズの依頼で書いた。今までも戯曲で発表すべきであろうと思うものを発表の場がないということで小説にしていた(「将軍が眼醒めた時」「その情報は暗号」「乗越駅の刑罰」等)。ここでちなみに全集にしか収録されていたかった「12人の浮かれる男」小説版は今回のコレクション5巻に入っていますと日下さんがアピール。
「スタア」は福田恆存さんが劇団欅で三百人劇場にて上演したいと言ってきてくれた。公演予定は11月だったが、稽古を早めに行い、その三ヶ月前、8月の神戸SF大会(SHINCON)で初演してくれた。その後「三月ウサギ」の演出を福田さんがやってくれた時の演出助手だった樋口昌弘氏は、実は同志社時代、同志社小劇場で福田さんの戯曲「龍を撫でた男」に私が出演したときの演出であり、不思議な縁を感じる。
福田さんは「三月ウサギ」発表後、すぐ神戸に来て、主役をやるのはあなたしか思い浮かばないと言われて頼まれたが、断ってしまい、北村総一朗氏が演じた。劇団昴公演、紀伊國屋ホールだった。
『シーザス・クライスト・トリックスター』について。「STARLOG」を発行していたツルモトルームの鶴本氏がラフォーレ原宿の杮落しに何か出来ないかと言われ、筒井康隆大一座を率いて主役を演じた。演出は私の戯曲の多くを演出してくれている川和孝氏。
復刊ドットコムから発行される『筒井康隆全戯曲』2巻には「ジーザス・クライスト・トリックスター」が上演された時に出た、『写真漫画 ジーザス・クライスト・トリックスター 筒井康隆大一座公演全記録』に舞台写真なども収録予定とのことでした。
「日本SF大賞」創設について。
大江健三郎さんの『同時代ゲーム』がなかなか評価されないので、「日本SF大賞」を作って、ショーアップできないかと考えた。小松左京さんに相談すると、小松さんは「日本SF大賞」ということだで頭がいっぱいになってしまったようで、第一回は、堀晃さんの『太陽風交点』が受賞した。皆さんもご存知のとおり、大騒ぎとなってしまった。時間がかかったが、堀さんが勝訴して良かった。第二回受賞が井上ひさし『吉里吉里人』。その後は「AKIRA」など小説だけではなく漫画・評論・映像なども対象とする賞となった。
「SF新人賞」について。奇想天外SF新人賞で新井素子さんが受賞した時、星さんが激賞し、小松さんと私が大反対した。あの時の選考の模様は今読んでも面白い。「おもろ放談」に入れてもいいくらいだ。
というところで前半終了。煙草タイムとなりました。後半はまた。