筒井康隆氏についての…

筒井康隆さんについての情報を中心としたブログです

永遠の大江健三郎文学

「お詫びその他。」

  • <新潮>2023.5 p118-p119

 「新潮」5月号は「永遠の大江健三郎文学」として随筆「難関突破」再録と諸氏からの追悼文を掲載。追悼文の最初に掲載された筒井さんの「お詫びその他。」は、大江さんへの追悼文依頼を断ったことについて「新潮」矢野優編集長へ送られたメールでした。訃報がもたらされた当日、各社から相次いだ追悼依頼やご自身の様子などが書かれています。このメールを掲載してくださった矢野編集長に感謝します。

 平石滋さんの作成された筒井さんについての資料を見ていると、筒井さんと大江さんのかかわりがいかに長く深かったかがわかります。

 筒井さんが『ピンチランナー調書』を「みだれ撃ち瀆書ノート」でとりあげ、大江研のザブローニ教授が出てくる「ポルノ惑星のサルモネラ人間」を発表されたのが1977年。大江氏が「朝日新聞」の文芸時評で『宇宙衞生博覽會』をとりあげたのが1979年。大江さんを介して「海」の塙嘉彦氏と筒井さんはすでに出会っていました。「海」での「中隊長」掲載から『虚人たち』連載開始、そして塙氏が亡くなるまでのことは「知の産業-ある編集者」や『筒井康隆全集』最終巻の大江さんの解説があります。大江さんの『同時代ゲーム』、井上ひさしさんの『吉里吉里人』、筒井さんの『虚航船団』の共鳴。「へるめす」での鼎談をまとめた『ユートピア探し 物語探し』。大江さん、丸谷才一さんと筒井さんの鼎談「読書と人生」、『大江健三郎全小説』に寄せた「ずっと大江健三郎の時代だった」、蓮實重彦氏との対談「同時代の大江健三郎」……。
 個人的に忘れられないのは大江さんのノーベル賞受賞を伝えたニュースでの筒井さんの笑顔と「大江さん、あなたもう何でもできるんですよ」というコメント。そして下北沢での「筒井康隆筒井康隆を読む」の「発明後のパターン」で、身をよじって笑っておられる大江さんです。

 改めてご冥福をお祈りします。